私がまだほんの子供、だった頃、ラジオから流れてきた、何とも色っぽく、可愛いい歌声に心奪われました。
それが、渡辺はま子さんが歌う「とんがらがっちゃ駄目よ」だった。
その時は、知らなかったが、これは戦前の歌だった。
実際、年齢的には、曾祖母ぐらいに当たる方です。
その後、「蘇州夜曲」、「桑港のチャイナ街」、「支那の夜」、「何日君再来」、など、異国情緒たっぷりのこれらの曲を、しっとりと、上品な色っぽさで、歌うこの歌手にすっかり夢中になりました。
その頃は、まだナツメロ番組に年に何度か出演されていて、チャイナドレスを着て、羽のついた扇子をあおぎながら歌う姿は、年齢を越えた美しさと、優雅さ、がありました。
ところが、「ああモンテンルパの夜は更けて」
この歌だけは何かが違っていた。
まず、歌詞。
どこか日本から遠くにいる人の話のようだが、旅をしているようでもない。
特に、最後のフレーズ「強く生きよう倒れまい、日本の土を踏むまでは」には悲壮感も漂う。
そして、哀愁を帯びた、もの悲しいメロディー。
何よりも、この歌を、力強く歌い上げる、彼女の表情は、泣いているようでもあり、怒っているようでもあり、聞いている私には、ある種の居心地の悪さを感じさせてしまうものだった。
はっきり言うと、嫌い、だった。
元々明るく楽しい歌が好きだったし、メロディーも少々泥臭いようで、渡辺はま子さんの色っぽく、上品な個性とは相容れない、し...。
まだ、軍国主義的な「愛国の花」の方が、マシ、と思ったくらい...。
この歌を、誰が作ったのかを知ったのは、ずいぶん後の事でした。
背景に左右されるのは、良しとしない、作品本位であるべきかも知れませんが、この歌に対する見方は、変わりました。
渡辺はま子さんは、歌いながら、無念にもフィリピンで亡くなった方々を思って、泣いていたのだと思う。
そして、助ける事ができなかった自分自身に、怒っていたのだと思う。
彼女に責任があったわけではなかった、のに...。
渡辺はま子さんも、加賀尾秀忍さんも、モンテンルパの囚人達のために命がけで奔走したが、本来それをするべきだったのは、彼らではなかった。
責任以上に尽力している人に限って、まだ力が足りないと、自分を責めるのだ...。
絶望と恐怖のなかで、作られた、正に、魂の歌。
洗練されている必要などなかった。
そう考えてみると、歌詞には、恨みがましさはなく、意外と普遍的な、望郷の歌になっている。
今でも、この曲を聞く時の、居心地の悪さは、変わらない。
お前は、彼らの犠牲に応えられる生き方をしているのか?と問われているようで...。
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