もう...7年前...。
「パーマーさんは亡くなった」と聞いても、全く現実感はなく、悲しい、というより、飲み込めない違和感のようなものに、ただただ、茫然としていた。
そうは言っても、日中は仕事や雑事、生活に追われて、流されるように過ごしていたが、夜、は...。
疲れているのに、全く眠れない...。
突然すぎて、唐突過ぎて、とても現実とは思えぬ知らせに、愕然として、眠れぬ夜を過ごしていた秋...。
ただ点いていただけのテレビの深夜映画。
だから、題名も、監督も、出演者も、何もかも全く知らず、映像は目には入っていたが、「観て」はいなかった。
が、突然、胸倉掴まれて、引っ張られたように画面に引き込まれた。
そこには、不思議な佇まいの女、いや男?
主人公の中学生にかかわる、日常的でない異質な人物、おかまバーのママ、菊ちゃん。
ややもすれば、わざとらしくグロテスクになったり、してしまうはずの「彼女」は、しなやかで、繊細で、そして優しかった。
甘いだけの優しさではなく、寂しさ、悲しみを知り尽くした果ての、凛とした優しさ...。
外れてしまっている「生き方」のためか、「愛」をちらつかされ騙されたことに気がつかない振りをして、おどけてごまかしている。
でも、騙されて多額の借金を抱えさせられた厳しい現実、そして「愛」なんてないことに打ちのめされ「一人にしないでよ」と泣き叫ぶ弱さと、それでも、生きていこうとする強さ。
人一倍傷ついている故に、「いじめ」に傷ついて心を閉ざして生きていこうとする主人公の少女に深く同情し、心配して、世話を焼く。
映画を観ているうちに、とても深い感情が湧き出してきました。
それでも、あの頃の私は涙、も、出なかった、が、つかえていた何かが、胸の奥に落ちて行った様な気がした。
余韻は少し苦く、切なく、でも、暖かい。
あわてて、新聞のテレビ欄を確かめた。
「非・バランス」
題名と内容が一致せず、全体のストーリーも、主演の少女もピンとこなかったが、愛らしい小品、といった映画で、忘れられない映画体験になった。
でも...。
あまりにも自然な物腰、立ち居振る舞いに、
おかまの菊ちゃんを、「本物」としか思えず、その手の店の歌手(芸人)なんだと思い込んでいた。
もちろん「俳優・小日向文世」の認識は全くなし!
フィルモグラフィーで「非・バランス」を見つけた時の衝撃と言ったら...。